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ウェストミンスター寺院
Westminster Abbey


map: Westminster Abbey ,SW1

tel: 020-7222-5152
hp
http://www.westminster-abbey.org


category: 教会
station: Westminster 下車すぐ
ticket:
大人£22 
open:日によって異なるので、公式サイトで確認を。
ワーシップの際は、観光入場致しません。


所要時間:1-2時間
付近の観光名所:国会議事堂 バッキンガム宮殿 クィーンズ・ギャラリー 王立厩舎 バンケティング・ハウス ジュウエル・タワー
備考:1987年、世界文化遺産に指定

付近のオススメレストラン:
Buckingham Arm
パブ料理&パブ
「チープに美味しい」メニューの数々を
260年以上の歴史あるパブの空間で<

歴史メモ

エリザベス1世(在位1558-1603)

ヘンリー8世とアン・ブーリン(女児しか生まないという理由で、ロンドン塔にて処刑された)の娘エリザベスは、25歳でイギリス王女に即位した。非常に優れた政治的能力を持った彼女は、国民から「グッド・クィーン」「女王ベシー」という愛称で呼ばれ、議会では財政政策や宗教問題、エリザベスの結婚問題などの議論で押し問答はあったものの、庶民院との関係も衝突に終わるようなことはなかったという。また、異母姉妹であるメアリーの元夫であるスペイン国王フェリペ2世から結婚の申し込みがあるも、議会に拒否させてスペインとの決別を決定づけた。後にスペインはイギリスに対して「無敵艦隊アルマダ」を差し向けるが、イギリスは圧勝することになる。
また、この時代には「東インド会社」を始めとする多くの特許会社が作られたり、「ロイヤル・エクスチェンジ(王立取引所)」がロンドンに設立されたりと経済的繁栄が実現し、大英帝国の礎が築かれた。また、文化の面ではルネッサンス文化が開花し、ウィリアム・シェイクスピアなどの文化人を輩出している。

メアリー・テューダー
(在位1553-1558)

熱心なカトリック教徒で、エリザベス1世の異母姉妹であったメアリーは、「ブラッディー・メアリー」と呼ばれ、その執拗さと残虐性が多くの歴史書物によって語られている。メアリーが、スペインの最盛期国王フェリペ2世との結婚を強行したことで、イギリスでは女王夫妻の後継者が両国の王位を継承することを危惧した暴動が起きた。しかしメアリーは、自分の王位に危険な存在である者を処刑し、大勢のプロテスタントを処刑することでそれを弾圧。彼女の次の後継者となるエリザベスも自分を脅かす存在だとして、幽閉するためにロンドン塔へ送っている。ただ、父ヘンリー8世によって決別されたローマ・カトリックへの復帰を承認するも、即位5年で病死し、それを実現することなく、その王位をエリザベスに譲ることになる。










ウェストミンスター寺院

歴代の国王の戴冠式が行われ
英国の王室や著名人の墓としても存在

このウェストミンスター寺院は、11世紀にエドワード懺悔王が建設したのが原型で、1245年にヘンリー3世(在位1216-1272)のもとでフランスの石工「マスター・ヘンリー・ドレインズ」等を招き、ゴシック建築にならって建設されました。この寺院は王室と関係も深く、1066年ウィリアム即位以降英国国王の戴冠式が行われています。また、墓としての存在も有名で、多くの国王や女王、ウィンストン・チャーチル元英首相やシェイクスピアなどの文豪、偉大なる音楽家ヘンデルもここに葬られています。厳粛な雰囲気の中、600以上の石碑と壁碑、そして美しいステンドグラスの数々。全てデザインが異なり、それぞれの意味と祈りが込められています。
また、裏庭であるカレッジ・ガーデンも、4月〜5月頃は色濃い桜の花など、草木が彩り美しい姿に。11世紀に年老いた修道士が、高年者の仲間を気遣い、医療的な目的のためにその庭でハーブを植えて、栽培を始めたといわれています。

ウェストミンスター寺院を楽しむためのお役立ち情報

北歩廊
ここは聖廟側には王家の墓、各礼拝堂には記念碑が並ぶエリア。日本人の私達にとってなじみ深いクリミア戦争の看護で名高いナイチンゲールの記念碑もここで見ることができます。それはフランスの彫刻家L・F・ルービリャックによって1761年に制作されたもので、死神がエリザベス夫人(ナイチンゲールを政治の面から支えたハーバート氏の妻)の死期を告げ、ナイチンゲールが護ろうとしますが、やがて魂は奪われてしまうというテーマ。そこにはナイティンゲールの力強い意志を感じられる表情と死神の流動感溢れる姿に、死という抵抗できないものの重さを感じることができるのではないでしょうか。
また、ヘンリー7世の礼拝堂の北側の廊下には、異母姉妹であるエリザベス1世(在位1558-1603)とメアリー・テューダー(在位1553-58)の墓が上下一体となって葬られています。そこにはラテン語で「王座においても墓の中でもパートナーである我々エリザベスとメアリー姉妹は復活を願う」と記されています。


ヘンリー7世の礼拝堂(聖母礼拝堂)
天井を見上げると見事な装飾であるファン・ヴォールト、墓上のヘンリー7世と王妃エリザベス・オブ・ヨークのブロンズの彫刻、光が差し込み、美しく輝くステンド・グラス。ヘンリー7世の礼拝堂は世界的にもその美しさを高く評価されています。
南側廊には、エリザベス1世に裁判に掛けられ、処刑されたスコットランド女王メアリー・ステュアートの墓があります。メアリーの息子であるスコットランド王ジェームズ6世が、エリザベスの死後、正当な王位継承者としてジェーズム1世(在位1603-25)の名でイングランド国王となったことで、エリザベス1世の墓碑以上に豪華なものを造らせたといわれています。その墓の頭上には、アーチ状の天井のフラワー装飾が、ジェームズ1世の母への悲痛な祈りを表現しているようです。

また、東側の英国空軍記念礼拝堂の目の前には、清教徒革命の立役者となったオリバー・クロムウェル(1599-1658)の埋葬された地点を表す石があります(THE BURIAL PLACE OF OLIVER CROMWELL 1658-1661と書かれています)。1661年に埋葬された遺体は掘り起こされ、バラバラにされた上にタイバーン処刑場の絞首台に吊るされたということです。

ヘンリー7世(在位1485-1509)
新航路と新大陸の発見によってスペインやポルトガル両国による世界進出と布教活動が広められる中、イギリスもまた新たなナショナリズムへと変化を遂げることになる。それがイギリスのテューダー朝の専制政治であるが、その礎を築いたのがヘンリー7世である。この国王は、専制政治と国家財政の維持、さらには経済政策も効果的に行った。毛織物生産は飛躍的に発展し、その頃の商社である「冒険商人組合(マーチャント・アドヴェンチャラー)」の保護、海外取引の奨励、オランダなどの中継貿易の排除を目的し、イギリス商船のみワインの輸入を許可した「航海法」を制定するなど、のちの経済発展に大きく影響を与えた。
即位後は、自らの出身地であるウェールズ地方にイギリス国王の宗主権を確立。スコットランドに対しても干渉を行い、娘のマーガレットをスコットランドのジェームズ4世と結婚させ、これは後にスコットランドとイギリスの合体をもたらすことになる。

聖歌隊席と内陣
今日まで聖餐式※が執り行われてきた主祭壇は、1867年にギルバート・スコット卿によって設計されました。祭壇の前の床は、1268年にはめ込まれたもので、現在に残る貴重なものです。プレーンな大理石地に色大理石の小片を象眼細工のように組み合わせることでできるデザインはコスマーティ技法と呼ばれ、その最高傑作ともいわれています。
 聖歌隊席は、修道層たちが日夜礼拝を捧げた場所ですが、現在のヴィクトリアン・ゴシック式となったのは19世紀半ばで、エドワード・ブロアの設計によるものです。

歴代の国王の戴冠式が行われてきたウェストミンスター寺院ですが、式が執り行われてきたのはこの主祭壇の前です。大勢の王位継承を祝う人々が集まり、その戴冠を見守ってきた1000年の歴史がここにあります。

※福音書の朗読と説教、世界のための祈り、礼拝者同士の平和な絆の強化、パンとワインの分かち合いを行う最後の晩餐の象徴的な再現から構成されるもの。寺院内では、必ず日に一度は行われている。

個別ガイド
 Verger-Led tour
聖堂、王家の墓、詩人達の墓、修道院、身廊を含む主要な見所を個別に説明が聞ける約90分間のガイド・ツアー。英語で質問をしながら、じっくりと見学したい人にオススメ。公式サイトの「Visitor Information/Tour」でinformation deskの情報をもとにメールもしくは電話にて予約することができる。料金は、1人£3。
【時間】月-金 10am 10:30am 11am 2pm 2:30pm
     土    10am 10:30am 11am(10-3月の毎日は10amの部はなし)

オーディオ・ガイド 
Audio-guides
日本語のガイドを希望する人やマイペースに見て回りたい人は、オーディオ・ガイドを利用することができる。料金は無料。.

 


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